潟Rーナン・メディカル

<会社概要>

代表者 代表取締役社長 池上 哲治
本社所在地 兵庫県西宮市宮西町10-29
電話 0798-36-3455
創業 1947年7月
資本金 4,609万円
従業員 54人
主要製品 ノンコンスペキュラーマイクロスコープ ノンコンロボシリーズ
売上高 13億円(平成12年度)
HP http://www.konan.com

 

1.受託研究から自社製品開発へ

 潟Rーナン・メディカルは、終戦直後の1947年、旧制甲南高校(現甲南大学)写真部の有志が「よそにないカメラをつくりたい」という思いで設立した甲南カメラ研究所が母体である。当時はカメラ撮影に当たっては事前に暗室でのフィルムの装填や距離合わせ等が必要であったがカートリッジ式のフィルムを採用したり距離あわせを意識させない良い当時としては画期的な“殆ど準備を必要としない小型カメラ「コーナン16」”を研究開発し、その特許のライセンシングで得た資金で小型カメラ等の研究を始めるというカメラ分野におけるベンチャー企業の走りであった。その後、受託研究という形で開発分野を事務用機器やOA機器、FA機器と広げていったが、大手企業等からの委託研究という事業形態に限界を感じた三代目社長は、「このままでは成長できない、自社で製品の製造・販売を行うべき」と考え、大企業が進出しにくい程度の市場をターゲットとした高付加価値の商品開発に未来を見いだすことになる。テーマはカメラづくりを通してその基礎を培った「人間の眼」におき、「眼底カメラ」や「手術用顕微鏡」を開発、更に、角膜の研究で世界をリードしていたロンドン大学等と提携して特殊なカメラを研究開発、製品化することにより同社の安定的成長の基礎を築いた。
 創業以来10年ごとに新しいビジネスを立ち上げることをコンセプトとして、常に新しい展開に貪欲に挑戦する成長志向の会社である。

2.少量でも社会から求められる製品を開発

 1977年ロンドン大学から、厚さ約0.5mmの角膜中の内皮層(厚さ5μ)細胞の写真を安定して撮りたいので適切なカメラを研究開発してもらいたいとの要請があった。大企業は市場規模が期待できないとの判断からか、受入れを辞退したようである。同社はこれを好機と捉え、全力でスペキュラーマイクロスコープの研究開発に着手、翌1978年には試作器の開発に成功するという大変なスピードで研究開発は進んだ。同年に眼科学会に出品したところ、高い評価を受け、翌1979年には製品化、販売開始、1985年までに約400台を出荷した。
 ところが、80年代に入り米国でAIDSが発見され、衛生上の問題からやがて非接触式撮影が求められることとなり、そうなると「レンズを眼球に当てて写真を撮るスペキュラーマイクロスコープは、いずれ売れなくなる」との危機感を覚え、即刻、非接触式の研究に着手している。非接触式とすることにより生まれる眼球の反射光の処理、光軸の位置合わせ等の課題を解決し、1993年にはスペキュラーマイクロスコープ「ノンコンロボ」の製造・販売を行っている。ちょうど前機種に係る特許が切れる頃で、同業他社が虎視眈々と同社の技術を狙っているというそんな時期であった。現在、同機は、患者の目に直接触れることなくフルオートで患者自身が手軽に操作できるという点が人気を呼び、同社を支える主力製品となっている。価格は他社よりも高いにもかかわらず、日本国内及び欧米を始めとする世界各国で取得した特許が奏功して世界で70%のシェアを誇っている。

3.特許について

 同社は、創業以来半世紀の間に約1800件にも及ぶ特許出願をしてきた驚くべき研究開発型企業である。従業員50数人の会社が平均すると1年間に30件を越える出願をしていることになる。
 特許は受託研究開発を仕事としていた間は、受託研究の成果の配分は交わす研究契約により様々であり、共有の成果を如何に有効に活用し展開するかを重視し話し合いで決めており、その結果により各メーカーへの実施権設定や譲渡による対価を得るための役割を果たすこともあった。自社製品を開発・販売するようになってからは自社製品の開発成果を守り、他社の市場参入を牽制するという役割を担っている。
 出願等の手続きは特許担当と開発した技術者で検討し、何を新しいこととして主張すべきか方針を決めた上で特許事務所に依頼している。出願には経費がかかることもあり、特に審査請求についてはその必要性を充分に検討した上で手続きをとることとしている。
 特許侵害については、他社が手がけていない分野をターゲットとしているためか、市場がバッティングすることは殆どなく、警告等を行う必要性を感じたことがない。
 産業財産(工業所有)権情報は、日米特許庁HP、公報(自社関連分野の特許公報、公開公報フロントページ)により入手している。